泣いた次の日 生まれる笑顔 飽きることなく回る風車よ 

津波
あんなに大きな揺れだったのだから、大きな津波が来ることは考えられただろう。でも誰もが想像できないくらい大きな津波だった。
ライフラインも早くに復旧し、建物にもさほど大きな被害がなかった我が家、この地域だけど、津波の波はうちのすぐ近くの河川敷公園まで来ていた。どれだけ大きな津波だったのだろう。怖い。自然の力って大きすぎる。
あの日、長男を中学校まで迎えに行った帰りの横断歩道で、交通整理をしていておまわりさんが急に戻って来て「津波が東部道路まで来ているから早く高台に逃げて下さい」って言い出した。正直「?」だった。川を上るという津波でもここまで来るのかな?って。とにかく、夫と次男が待つ家に早く帰ろうってそれしか頭になかった。帰宅してから食べ物やらランタンやらを2階に運んだけど…。本当ならすぐ近くの小学校に避難すべきだったのだろう。それから、その後石巻に出勤して行った夫。行かないでほしいと言いつつ、仕事だから仕方ないかという気持ちはあったが、津波で危険な目に遭うかもとは考えていなかった。シュラフとコーヒーを入れたポットだけ用意して見送った。幸い仕事場が高台だったので助かったけど…。
地震津波」という意識が足りなかったのではないか。私たちの地域も家族も、津波に対する意識を改め、訓練や話し合いなどが必要だと思った。


避難生活。
私、Sちゃんを亡くした時、毎日泣いて泣いて、腫れた目でなんとか仕事に行って、家事は放棄で、とにかく時間が流れるのを見ているだけっていう感じだった。
被災された方は大切な人を亡くしたと同時に避難生活に入っている。見知らぬ方たちとの集団生活で泣くに泣けなかったり、食べ物飲み物の確保で泣くことすら忘れたり。今、どのような心境で暮らしていらっしゃるのだろう。
何もかも吐き出せる場所があるといいのに。
話を聞くだけだったら私にも出来るかな?


夫。
地震後休みなしで働いています。
みんなのための仕事なのはわかるけど…
足がむくんでいるようで靴下の跡もくっきり。
在る命を大切にしないでどうするの?
自分だけ休めないでしょうから、皆で休めばいいのにね。甘いですか?
なので食材はまだ不足気味ですが、せっせとご飯の支度をするしかないです。栄養たっぷりの。
久々に「Mr.ビーン」のDVDなんて引っ張り出して見て笑ってるから大丈夫かな?


SUGINAMI MELODY/スピッツ